近藤 富蔵(こんどう とみぞう、文化2年5月3日(1805年5月31日) - 1887年(明治20年)6月1日)は、江戸時代後期から明治の人物、民俗学者。旗本・近藤重蔵(近藤守重)の長男。諱は守真(もりざね)。江戸で出生したが、町人一家殺傷事件を起こして長期にわたって流罪となり、その後赦免されるも流人生活を送った八丈島で生涯の大半を過ごした。井伏鱒二の『青ヶ島大概記』の種本となった『八丈実記』を著している。